お母さんに「あなたの期待を上回っていますか」と聞けますか その2
こんちこれまたずんずんです。今回は前回のブログ「お母さんに「あなたの期待を上回ってますか」と聞けますか その1」の続きになります。
~前回までのあらすじ~
シンガポールで一流エリートになるべくコーチングを受け始めたら、なぜだか家族問題に直面することに…そこでずんずんさん。トラウマのびっくり箱のずんずんさんの家族問題にずんずんのMPはもう0よ!許してやって!!
コーチングについては、こちらのブログ「お父さんに「私の事愛していますか」と聞けますか」をご覧ください☆
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さてはて、幼少期、父に怒鳴られ泣いていた母親の姿をみて育った私は、コーチから母親に対して「罪悪感」を持っていることを指摘されました。それが私が持っている無能感のひとつの原因だというのです。
家事と育児には全くかかわらず、横暴な父親に泣かされてきた母親は「専業主婦なんてつまらない。逃げる事もできない。あなたは私みたいになっちゃだめ」と言いつづけ、私はその言葉通りに経済的に自立した女性になったわけです。
私は同時に自分が経済的に自立すれば、母親を父親から自由にしてあげれるとも思っていました。
しかし、実際にはそんな事にはならず、私の心をいつも傷つける家族から私は逃げ出し、無視をし続けてきました。そして、自分を認めてくれない母を憎み父を憎み兄のふがいなさを憎み、その怒りを沈める行為を毎日のように行ってきたのです。
しかし、私は一方で母親を愛していたはずです。彼女に楽をさせてあげたいと心のどこかでいつも思っていました。
そして私は母親に電話をすることにしたのです。
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母親に電話をすると彼女はすぐ出ました。
まあこれも突然
「小さい頃、お母さんを助けられなかったことを許してくれる?」とか言っても
おかんも困惑です。
なので、私は説明をしました。
どうしてこんなことを聞くのか。どうして私はつねに人の目を気にしておびえているのか。
そして小さいころからお父さんにしいたげられているお母さんをみて、私はなにもできなかったことに後悔していると説明しました。
すると母親は、
「あんなことねぇ大したことないのよ」
と言いました。
ふぇ!?
と私は思いました。彼女は続けます。
「日本の男っていうのはねぇみんなあんなもんなのよ。
だから気にすることないのよ」
と言いました。
え?えぇぇぇ!?;;;;
私は困惑です。父に殴られたことも、怒鳴られたことも、作った夕飯を捨てられたことも、非人道的な言葉をぶつけられたことも
気にすることないと!?;;
え!?私、今でもめっちゃ気にしてるんですけど!?(汗)
そう言うものなの????私は困惑しながらも次の質問に移りました。
私にはもう一つ聞きたいことがあったのです。
それは今の自分が「お母さんの期待」を上回っているかということです。
この目に見えない母の「期待」というものがいつも私を追い立て、殺してきました。
なので「今の私はお母さんの期待を上回っていますか」と母に聞きました。
すると母は言いました。
「それはもちろんよ」
よかったっ・・・・と私が安堵のため息をつこうとしたその瞬間、
彼女はまくし立てるように続けました。
「だいたいね。日本の家庭制度なんて1000年ぐらい変わってないのよ。なのに
社会がどんどんかわっかってるからね、あなたが苦労してるのよ」
え?
ちょっと待って?
なんの話?
どうして「私」と「母」の話をしているというのに、
ここで「社会」の話になるのでしょうか?
私は聞きました。
「じゃあうちの家族がめちゃくちゃなのも「社会の変化」のせいなの?」
母親は一瞬息を飲んで、そして答えました。
「そうよ」
………あかん。
これ
あかんやつや
家族がめちゃくちゃなのが社会のせいなら、ポストが赤いのも社会のせいよ。
完全な責任転嫁が行われ、もうあたしがっかりよ。
母親はさらに言います。
「そもそもね。私は子供の前で父親のことを悪く言ったことなんて一度もないよ」
……OH
この人
記憶改ざんしてるわ
めっちゃ言いまくってたやないか!!!
私の心は混乱です。
狐につつまれたような気持ちになってとりあえずその日は電話を切りました。
そして、そのあと私は毒親フレンド(注:毒になる親の元で生まれ育ち同じように育った友人のことを私は毒親フレンドよんでおります)にメールを送りました。
私:おかーちゃんにこういうこと言われたわいww
友人:どふっwwおたくのwwおかあさまはww相変わらずですなww
みたいなやり取りが行われていました。
この時私は何も感じていませんでした。
怒りも哀しみもなく、もうしょうがねぇなぁみたいな失笑しかありませんでした。
しかし、彼氏からメールが来て、彼は私がコーチングを受けていることを知っていたので、
その報告をした後に、事態はかわったのです。
突然の彼氏の登場!!!
読者は裏切られた気分なって10のダメージ!!!
私は自らのセルフプロデュースを裏切っても彼のことを書かねばなりません。
なぜなら彼は「将来は父親みたいなりたい」という男だったからです。
親みたいになるのはちょっと…と思っている私とは大違いです。
そうです、彼は健全な家庭で適切な愛情を注がれて育った
「すくすくチルドレン」だったのです。
私がメールで、どんな内容を母親と話したかを送るとすぐに彼から電話がかかってきました。
電話にでると開口一番彼はいいました。
「大丈夫!?」
え?
なに?
彼氏が慌てて電話をかけてくるぐらい私はひどいことを言われたの?
私は困惑しました。そして、次の瞬間、
あ、ひどいこと言われたんだ。
と私は理解しました。
私は、「勇気を出して」聞いたことを「はぐらかされた」わけです。つまり、私は自分の勇気=「気持ち」をまったく、くみ取って貰えず、気持ちが踏みにじられたことにここでやっと気づいたのです。
私は母親についてこの数年なにも感情をもっていませんでした。
昔は母親から電話がかかってくると気分が落ち込みひどい時は一晩中泣いていました。でもそれをいつからかやめ、私は無感動になり、哀しみも怒りもなく母親を無視するようになったのです。それは同時に自分の感情からも逃げていたのです。
私は、傷つけられたことに気が付いた瞬間泣き出しました。
電話越しの彼氏は私が泣き出したのに気づいて慌てて言葉をつづけました。
「君のお母さんはね、現実に直面できないんだ。夫からも捨てられて、息子からも捨てられて、娘からも捨てられて、そんな現実を直視できないんだ。だから社会のせいにしてるんだ」
え?
私は驚きました。
私は今まで「母親は父親の暴力が原因で出ていった」と思っていました。
なので「母親」が自発的に出ていったと思っていたのです。
ですが、なんていうことでしょう。
確かに父も兄も私もその後、母親をとりもすべく家族関係を改善するための努力はなにもしませんでした。
母親が私たちを捨てたのではなく、私たちも母親を捨てたのです。
なんという孤独でしょうか。
私は今まで母の孤独など考えたこともありませんでした。孤独は私の中にありました。ですが母親の中にもあったのです。その孤独から、母は記憶を改ざんして、全てをなかったことにして、自分の境遇を全て社会のせいにしているのでしょうか?
あんまりです。
社会のせいにして、現実を受け止めないなんて。私はいつも現実をみて、嘘はつかず自分に正直にありたいと思っていたのに。どうしてお母さんにはそれができなんだ。
どうしてお母さんはこうやっていつも私を傷つけるだ。だから離れていたのに、勇気を出して歩み寄ればまたこうして傷つける。どうしたらいいんだ。これがお母さんが死ぬまで続くのか。
いろんな感情がないまぜになってその一晩中泣き続けました。
人間ですね、一晩泣くと顔が土偶みたいになるんですよ。
顔がぱんぱんになって、熱もでて、次の日急に休んだらマネージャーから
一週間無視されました☆つらっ!
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さてはて、人間の心というものは移ろいやすいものでして、先週末は勇気りんりんだった私も、この週末はしぼんだりんごのようで、ぼろぼろになりながらコーチに会いに行きました。
コーチにはもうメールで報告済みなので、会った途端、
憐れんだ目線
を送られました。
私はコーチに聞きました。
なぜ母は、家族問題を社会問題にすりかえたのでしょうか?
コーチは答えました。
「普通の人は自分の人生に責任はとれない」
え?
私の困惑をよそにコーチは続けます。
「自分の人生を直視することはとても勇気がいることだ。
自分の人生が自分が選択した結果であると、責任を取ることはを取ることは普通の人にはできない。
だから人は、自分の人生がうまくいかない理由を誰かのせいにしたり、社会のせいにしたり、時として記憶を変えて、時として嘘をついて自分を守ろうとする。
でもあなたは違う。
あなたには現実を直視する勇気がある。
あなたはコーチングを受け、行動し、変わろうと努力をしている。
あなたがすべきことはわかる?
彼らから何を言われようとも、彼らを愛し続けることだ」
……OH…コーチ
それ
一番キツイやつや…
私はコーチの言った意味をそれからずっと考えていました。
自分の人生に責任を持つということは自分の言動のみならず、自分の感情にも責任を持つということです。私はいつでも母に傷つけられ、そして逃げ出してきました。
しかしこのループから抜けるのも私の責任なのです。
ループから抜け出し、傷つかない自分へ。
過去のトラウマから作り出された思考の癖を自覚し、なりたい自分へ。
過去に親が行った仕打ちは過去の私の責任ではありません。
しかし、過去に親が行った仕打ちから作り出された私の思考の癖とそれによる言動は、
今の私の責任です。
親の世代、そのまた上の世代から続く悪い慣習を断ち切って、
素晴らしい人生を送るのもまた私の努力次第なのです。
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以上が私のコーチング体験記となります。
家族関係は人それぞれで各家庭にはそれぞれの問題があると思います。
私は、子供のころ、冬の寒い日こたつを家族みんなで囲んで、
晩御飯を食べるのがとても好きでした。
私の人生でこの団らんを再び望むことは、もう出来ないかもしれません。
(うっ…涙が…)
ですが人生は、絶望の中を歩くために生まれたわけではないと、私は信じています。
読んでくださった方が一人でも多く、共感してくださり勇気づけられてくださったら、
こんなにうれしいことはありません。
お付き合いありがとうございました☆
それでは今日はこのへんで失礼いたします☆
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